トルコには、結婚の方法は30通りもある(前編)
日本には、結婚の形態を区別するいったいいくつの表現があるだろう?
出会いの形により、「お見合い結婚」か「恋愛結婚」。
結婚の経験により、「初婚」「再婚」、子連れの場合の「子連れ再婚」。
最近あんまり聞かなくなった「入り婿」「駆け落ち」「押しかけ女房」。
最近多いのは「できちゃった結婚」に「国際結婚」、「別居結婚」に「遠距離婚」か。
前回の記事で、トルコにはおよそ30種類もの結婚の形態があることが調査により明らかになったと記述したのだが、このところ目ぼしい話題も見つからないので、この機に15種類ずつ2度に分けてご紹介していきたいと思う。
それぞれが非常に興味深いものであるが、驚くなかれ、これらは決して過去のものではない。
トルコでは今現在も、往々に見られる現象なのである。
嫁取金の借金のかたに妻を連れ戻される夫の話
トルコ、地中海地方東部。
肥沃なチュクロヴァ平野*1に発展したトルコ第4の都市アダナ(Adana)。
商業・産業都市として発展してきたアダナおよびその周辺部には、東からやって来た、つまり開発の遅れたアナトリア南東部(Güneydoğu Anadolu)出身の人々が多く住みついている。
このアナトリア南東部は、トルコの中でもとりわけ「トレ(töre/因習、昔ながらの規範・倫理)」が根強く残っている地域で、トレに根ざすさまざまな事件、話題に事欠かない地域でもある。
南東部出身者の多いアダナは、そういう意味で、いわばトルコの「トレ文化圏」の一角に位置しているともいえる。
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アダナに住むカラタシュ夫妻は結婚して12年。7人の子供がある。
12年前、エミネを妻に迎えるにあたって、彼女の父親は嫁取金(başlık parası)*2として、今でいう1万2千YTL(約100万円)に値するお金を、夫となるヤースィン・カラタシュ一家に要求した。
※この「başlık parası」をどう訳すかで、ここでは一時「婚資金」と訳したのだが、より直截な表現である「嫁取金」に変更することにした。
「başlık parası」は、単に「başlık」ともいうのだが、başlıkは、baş=頭、lık=接尾辞で、「一人頭分(の値段)」というような意味から来たものと思われる。
ちなみに英語にはどう訳されているか調べてみたら、「bride-price」つまり「花嫁価格」とあった。
そこでここでも、より直截に「嫁取金」と言い換えることにする。
カラタシュ家は要求された金額の半額にあたる6千YTL相当を支払い、残りの半額は借金として残った。
エミネの父親は、これをノートに付けることにしたが、金額ではなく、なんと砂糖の量に換算して書いてしまった。
一方、当のヤースィンは一切記録を取っていなかった。
それから12年の間に砂糖の値段は上昇し続け、ヤースィンの借金額も上昇の一途をたどった。
ヤースィンが一向に借金を返せないため、エミネの父親は借金のかたに、過去6回にわたり、エミネを実家に連れ戻した。
そしてつい1ヶ月前。この舅はヤースィンの借金がまだ7千YTLも残っているとして支払いを要求した。
ヤースィンが払えないとなると、舅は7度目になるエミネの連れ戻しを決行した。
約1ヶ月間、7人の子供の母親であり妻、エミネを戻してもらえないヤースィン・カラタシュ一家の窮状を聞きつけた地区長と近隣の人たちは、自分たちのお金を持ち寄り、借金を返済してエミネをヤースィンと7人の子供たちの元へ無事返すことに成功した。
無事夫と子供たちのもとへ帰ることのできたエミネは、「自分がまるで商品かなにかのように感じた」と語る。
ヤースィンは、嫁取金なんていう伝統は、もうこの世から消えてなくなってほしいと願っている。
(2006年4月15日付けHürriyet紙全国版より)
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そうなのだ。アナトリアの東部〜南東部一帯では、昔から娘たちは一家の財産のように扱われてきた。
まるで牛や羊の売り買いをするように、結婚にあたっては嫁取金の額を決め、嫁取金の支払いと同時に嫁いでいくことが許される。
そこで、嫁取金を支払うことも出来ないような貧しい若者との結婚は、娘側の両親によってしばしば反対される。
こうして若者は、しばしば娘と駆け落ちするしかない状況にも置かれる。
トルコ東部〜東南部で多い「駆け落ち婚(略奪婚kız kaçırma)」という現象は、親の反対を押し切って純愛を貫く行為という側面よりも、女性側家族の反対にあった場合の唯一の手段として慣行化しているということもできる。
トルコ国内で行われた調査*3の結果、上記の「嫁取金婚」「駆け落ち婚(略奪婚)」を含め、トルコにはおよそ30種類(!)もの結婚の形態があることが明らかにされたという。
そのいずれもが、大変に興味深いものである。いつか機会があったら、ご紹介してみたい。
なお、このカラタシュ一家は、東部〜東南部で多い若年婚の一例としても興味深い。
現在、夫ヤースィンは31歳、妻エミネは26歳。12年前結婚したのは、つまり夫19歳、妻14歳の時である。
また、エミネの父親ドゥルスンの年齢はただ今43歳。エミネが生まれたのは、彼が17歳のときである。
ちなみにトルコでは、年齢は数え年でいうことが一般的である。
嫁取金の借金のかたに妻を連れ戻される夫の話
世界面白ニュース?
いやいや、ここでご紹介するのは、深刻で可哀相な、ある夫婦の物語。
トルコ発、地中海クルーズのすすめ
ゴールデンウィーク目前の日本。
トルコでも、この時期ゴールデンウィークこそないが、4月23日の「国民主権と子供の祭典(Ulusal Egemenlik ve Çocuk Bayramı)」、5月19日の「アタテュルク記念、青少年とスポーツの祭典(Atatürk'u Anma Gençlik ve Spor Bayramı)」というふたつの祭日を軸にしたバカンス需要を当て込んで、盛んにツアーの広告宣伝が繰り広げられているところである。
季節はまさに、旅行のベストシーズン。
そして今年も、エーゲ海クルーズを皮切りに、夏のクルーズ・シーズンがそろそろ始まろうとしている。
エーゲ海クルーズといえばアテネが拠点であり、ギリシャまで行かねば乗船できないイメージがあるが、途中トルコのリゾート地クシャダス(Kuşadası)に必ず寄航することはご存知だろうか。
ここでの観光の目玉は、クシャダス港からバスで30分ほど離れたエフェスス(エフェス)古代遺跡(Ephesus/Efes Antik Kent)。クルーズ船では、他の寄港地同様このためにオプショナルツアーが組まれ、停泊時間内で博物館と古代遺跡の両方を見学して再び港に戻ってくる。
これをトルコ側から見れば、トルコ在住者、トルコ旅行中のツーリストは、アテネまで飛ぶことなく、クシャダスを発着地としてエーゲ海クルーズを楽しむことも出来る、ということ。
同様に、イスタンブールを寄港地とした地中海クルーズではイスタンブールを発着地として、アンタルヤ、マルマリスを寄港地とした地中海クルーズでは、アンタルヤ、マルマリスをそれぞれ発着地とすることが可能。
これからトルコ旅行を予定されている方々。
トルコ周遊旅行の最後にイスタンブールから、あるいはクシャダス、アンタルヤ、マルマリスなどリゾート地での滞在を兼ねて、豪華客船でのクルーズの旅を計画に加えてみられても面白いと思うのだが、いかがだろうか?
以下、トルコの各港から出航するクルーズ船とその運航スケジュールをご紹介したみよう。(カッコ内は客船会社名)
計画を立てる際のご参考に。
●OCEAN MONARCH (GOLDEN STAR CRUISES)
エーゲ゙海クルーズ3泊4日
- 発着地:クシャダス
- 運航日程:2006年4月1日〜11月4日
曜日 | 寄港地 | 到着時刻 | 出発時刻 |
---|---|---|---|
土 | クシャダス | -- | 12:00 |
パトモス | 16:00 | 21:00 | |
日 | エラクリオン(クレタ島) | 07:00 | 11:30 |
サントリーニ | 16:30 | 21:00 | |
月 | ピレウス(アテネ) | 07:00 | 11:00 |
ミコノス | 18:00 | 23:00 | |
火 | クシャダス | 07:00 | -- |
●OCEAN MONARCH (GOLDEN STAR CRUISES)
エーゲ゙海クルーズ4泊5日
- 発着地:クシャダス
- 運航日程:2006年4月4日〜10月31日
曜日 | 寄港地 | 到着時刻 | 出発時刻 |
---|---|---|---|
火 | クシャダス | -- | 12:00 |
パトモス | 16:00 | 21:00 | |
水 | ロードス | 07:00 | 18:00 |
木 | エラクリオン(クレタ島) | 07:00 | 11:30 |
サントリーニ | 16:30 | 21:00 | |
金 | ピレウス(アテネ) | 07:00 | 11:00 |
ミコノス | 18:00 | 23:00 | |
土 | クシャダス | 07:00 | -- |
●MUSICA (MSC Cruises)
ヴェネツィア&アドリア海クルーズ 7泊8日
- 発着地:イスタンブール
- 運航日程:2006年7月5日〜10月11日
曜日 | 寄港地 | 到着時刻 | 出発時刻 |
---|---|---|---|
水 | イスタンブール | -- | 16:00 |
木 | (船上) | -- | -- |
金 | ドブロヴニク | 11:30 | 15;30 |
土 | ヴェネツィア | 08:00 | 16:00 |
日 | バーリ | 10:00 | 14:00 |
月 | カタコロン | 08:00 | 13:00 |
火 | イズミール | 09:00 | 15:00 |
水 | イスタンブール | 07:30 | -- |
●船名:COSTA MEDITERRANEA(COSTA)
ヴェネツィア&アドリア海クルーズ 7泊8日
- 発着地:イスタンブール
- 運航日程:2006年5月11日〜10月19日
曜日 | 寄港地 | 到着時刻 | 出発時刻 |
---|---|---|---|
木 | イスタンブール | 08:00 | 18:00 |
金 | (船上) | -- | -- |
土 | ドブロヴニク | 12:00 | 17:30 |
日 | ヴェネツィア | 10:00 | 18:00 |
月 | バーリ | 11:00 | 14:00 |
火 | カタコロン | 08:00 | 13:00 |
水 | イズミール | 08:30 | 15:00 |
木 | イスタンブール | 08:00 | -- |
●ORIENT QUEEN(AMC/ABOU MERHI CRUISES)
東地中海&エーゲ海クルーズ 4泊5日
- 発地:アンタルヤ 着地:マルマリス
- 運航日程:2006年5月3日〜
曜日 | 寄港地 | 到着時刻 | 出発時刻 |
---|---|---|---|
水 | アンタルヤ | 14:00 | 22:00 |
木 | ロードス | 09:00 | 18:30 |
金 | ピレウス(アテネ) | 11:30 | 23:59 |
土 | ミコノス | 08:00 | 23:00 |
日 | マルマリス | 13:00 | -- |
●ORIENT QUEEN(AMC/ABOU MERHI CRUISES)
東地中海&エーゲ海クルーズ 7泊8日
- 発着地:アンタルヤ
- 運航日程:2006年5月3日〜
曜日 | 寄港地 | 到着時刻 | 出発時刻 |
---|---|---|---|
水 | アンタルヤ | -- | 22:00 |
木 | ロードス | 09:00 | 18:30 |
金 | ピレウス(アテネ) | 11:30 | 23:59 |
土 | ミコノス | 08:00 | 23:00 |
日 | マルマリス | 13:00 | -- |
月 | マルマリス | -- | 03:30 |
火 | ベイルート | 06:00 | 17:00 |
水 | アンタルヤ | 14:00 | -- |
●ORIENT QUEEN(AMC/ABOU MERHI CRUISES)
東地中海&エーゲ海クルーズ 7泊8日
- 発着地:マルマリス
- 運航日程:2006年5月7日〜
曜日 | 寄港地 | 到着時刻 | 出発時刻 |
---|---|---|---|
月 | マルマリス | -- | 03:30 |
火 | ベイルート | 06:00 | 17:00 |
水 | アンタルヤ | 14:00 | 22:00 |
木 | ロードス | 09:00 | 18:30 |
金 | ピレウス(アテネ) | 11:30 | 23:59 |
土 | ミコノス | 08:00 | 23:00 |
日 | マルマリス | 13:00 | -- |
○情報提供:「hey travel trends」
ディディム(Didim)に住みつくイギリス人たち
世界的にも有名なエーゲ海のリゾート地、ボドルム(Bodrum)。
その北約70kmに位置するアイドゥン県ディディム(Didim) *1は、ディディマ古代遺跡(Didyma Antik Kent) *2のお膝元の町。
目の細かい黄砂からその名で呼ばれるアルトゥンクム・ビーチ(Altınkum Prajı/黄金砂海岸)に代表される13kmに及ぶビーチと、アクビュク(Akbük)をはじめとした休暇村の建設により、年々リゾート地として発展を続けているディディムは、ここ数年来、イギリス人による不動産購入のメッカともなっているらしいのだ。
現在イギリス人の名のもとに登記されている住居は8500軒。さらに2000軒が登記申請中であり、許可が下りるのを待っている状況だという。
つまり、現時点で約1万軒のイギリス人住宅が、交通の不便な*3小さな町ディディムに出現しているというのだ。
イギリス人の移住に伴い、イギリス人とトルコ人の間での国際結婚も増加している。
昨年2005年、ディディム市に提出された婚姻届の数237件のうち、85件(約36%)が国際結婚であり、その多くは40歳以上のイギリス人年配女性と、アナトリア出身の若いトルコ人男性のカップルであるという。
また結婚後、ディディム市を転出してイギリスへと移住した若者の数も50人に上るという。
この国際結婚の社会的背景について、ここでは深く追求したりはしないが、現在、この熟女ならぬ「熟嫁(olgun gelin)」増加の是非について、ディディム市をふたつに分けるような議論が沸き起こっているという。
なお市は、ディディムに移住したイギリス人に対して、アドナン・メンデレス大学(Adnan Menderes Üniversitesi)で教鞭をとるエテム・カラカヤ(Etem Karakaya)助教授とアイクット・ハミット・トゥラン(Aykut Hamit Turan)に調査を依頼した。
その調査結果は以下の通りである。
●ディディムを選ぶイギリス人像
- 性別:
- 女性 57%
- 男性 43%
- 結婚:
- 既婚者 82%
- 独身者 8%、
- 離婚経験者 8%
- 死別 2%
- 平均年齢:55歳
- 55歳以上 45%
- 45〜54歳 37%
- 35〜44歳 9%
- 25〜34歳 6%
- 16〜24歳 2%
- 職業:
- 退職者 66%
- 残り34%は、公務員、労働者、商人、無職など
- 収入:83%が年収15,000ポンド周辺かそれ以下
- 学歴:
- 小卒 58%
- 高卒 26%
- 大卒 16%
- ディディムを選んだ理由:(重視した順)
- 生活条件
- ストレスが低いこと
- 太陽と海
- 周辺住民の心の暖かさ
- 気候
- ディディムでの居住年数:
- 1年以下 49%
- 3年 41%
- 6年 6%
- 7〜9年 4%
(2006年4月9日付けHürriyet紙日曜版より)
ディディムに、イギリス人のいわばコロニーが出来あがりつつあるという話を聞いたのは、実はこれが初めてである。
ディディムといえばディディマの遺跡では有名だが、7年前に当地を訪れた私には、太陽と海と広大な草原しか見つからない、リゾート地というにはあまりに寂れた印象しか残らなかった。
当時の茫洋とした風景は、その後数年で大きく様変わりしたことだろう。
ディディムのイギリス人にせよ、アランヤ(Alanya)にコロニーを築いたドイツ人にせよ、足の便の悪い岬の突端のような土地や、谷あいの寒村のような場所を好むのには、何か歴史民族的な謂れでもあるのだろうか・・・・?
ディディム(Didim)に住みつくイギリス人たち
イギリス人に人気の高い土地といえば、トルコ南西部、エーゲ海と地中海の交錯するあたりに位置するフェティエ(Fethiye)&オリュデニズ(Ölüdeniz)一帯がまず頭に浮かぶ。
サマーハウス、あるいはリタイア後の終の棲家としてマンションやヴィッラを購入する外国人が絶えず、一時は外国人に対する土地売買禁止法が施行されていたものの、今年になってこの法律が廃止され、再び外国人の土地建物購入が可能となった今、この動向に拍車がかかっていると思われる。
ところが私が知らなかっただけで、近年イギリス人の関心はどうもフェティエにではなく、ディディム(Didim)に集まっていたらしい。
アンタルヤの非識字者(文盲)撲滅キャンペーン
県(İl)としてのアンタルヤの人口は、2000年度の人口統計によれば約172万人*1。
そのうち、読み書きの出来ない県民の数は、9万8千人に上る。
この数字から引き出される非識字率(文盲率)は、5.7%。
あるサイトによれば、トルコ全体の文盲率は78か国中33位、17.7%というから、トルコの全国平均に比べればかなり優秀な方ではあろうが・・・。
“アンタルヤに非識字者(文盲)を残すな”というスローガンのもと、アンタルヤ県知事アラアッディン・ユクセル(Alaaddin Yüksel)の主導によって2003年9月に始まった「国民教育支援キャンペーン(Ulusal Eğitime Destek Kampanyası)」の、ここ2年半の成果がこの度公表された。
アンタルヤ全域で開講された合わせて1,708件の読み書き教室(okuma yazma kursu)への参加者数は、合計で17,103人となり、非識字者の約17.5%の識字化に成功したことになる。
ちなみに内訳は、女性13,459人(79%)、男性3,644人(21%)である。
なかにはマナヴガット市ベシュコナック地域のように、遠距離のために教室への参加を促すのが難しく、マナヴガット市民教育課の署名の上に、「移動初等教育読み書き教室(Taşımalı İlköğretim Okuma Yazma Kursu)」が運営されたケースもある。
(2006年4月10日付Hürriyet紙アクデニズ版より)
現在でも諸事情で小学校にすら通うことの出来ない、通うことを親から許してもらえない子供たちの存在しているトルコ。
経済的理由、学校までの距離や通学手段、初等教育・義務教育に対する親の無理解・・・。子沢山の貧困家庭で、過去、犠牲になってきたのは常に女の子、女性たちであった。
だから、Hürriyet紙の記者が書く「女性たちの方が好成績」だった理由は、女性の方が意欲的だという以上に、女性の非識字率がそれだけ高いということを物語る。
たとえ夫や家族の理解が得られたとしても、交通手段の乏しい地域に住む女性に外出の機会を与えるのは、多少の困難を伴う。
家事以上にタルラ(田畑)での仕事を山ほど抱えた女性たちは、なおさらのこと。
彼女たちに教育の機会を与えようというとき、この移動教室のような行政サービスは格好の模範例となろう。
全国的にもっと、このようなキャンペーンが広がってくれることを祈る。