嫁取金の借金のかたに妻を連れ戻される夫の話

トルコ、地中海地方東部。
肥沃なチュクロヴァ平野*1に発展したトルコ第4の都市アダナ(Adana)
商業・産業都市として発展してきたアダナおよびその周辺部には、東からやって来た、つまり開発の遅れたアナトリア南東部(Güneydoğu Anadolu)出身の人々が多く住みついている。


このアナトリア南東部は、トルコの中でもとりわけ「トレ(töre/因習、昔ながらの規範・倫理)」が根強く残っている地域で、トレに根ざすさまざまな事件、話題に事欠かない地域でもある。
南東部出身者の多いアダナは、そういう意味で、いわばトルコの「トレ文化圏」の一角に位置しているともいえる。


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アダナに住むカラタシュ夫妻は結婚して12年。7人の子供がある。
12年前、エミネを妻に迎えるにあたって、彼女の父親は嫁取金(başlık parası)*2として、今でいう1万2千YTL(約100万円)に値するお金を、夫となるヤースィン・カラタシュ一家に要求した。



※この「başlık parası」をどう訳すかで、ここでは一時「婚資金」と訳したのだが、より直截な表現である「嫁取金」に変更することにした。
「başlık parası」は、単に「başlık」ともいうのだが、başlıkは、baş=頭、lık=接尾辞で、「一人頭分(の値段)」というような意味から来たものと思われる。
ちなみに英語にはどう訳されているか調べてみたら、「bride-price」つまり「花嫁価格」とあった。
そこでここでも、より直截に「嫁取金」と言い換えることにする。



カラタシュ家は要求された金額の半額にあたる6千YTL相当を支払い、残りの半額は借金として残った。
エミネの父親は、これをノートに付けることにしたが、金額ではなく、なんと砂糖の量に換算して書いてしまった。
一方、当のヤースィンは一切記録を取っていなかった。


それから12年の間に砂糖の値段は上昇し続け、ヤースィンの借金額も上昇の一途をたどった。
ヤースィンが一向に借金を返せないため、エミネの父親は借金のかたに、過去6回にわたり、エミネを実家に連れ戻した。
そしてつい1ヶ月前。この舅はヤースィンの借金がまだ7千YTLも残っているとして支払いを要求した。
ヤースィンが払えないとなると、舅は7度目になるエミネの連れ戻しを決行した。


約1ヶ月間、7人の子供の母親であり妻、エミネを戻してもらえないヤースィン・カラタシュ一家の窮状を聞きつけた地区長と近隣の人たちは、自分たちのお金を持ち寄り、借金を返済してエミネをヤースィンと7人の子供たちの元へ無事返すことに成功した。


無事夫と子供たちのもとへ帰ることのできたエミネは、「自分がまるで商品かなにかのように感じた」と語る。
ヤースィンは、嫁取金なんていう伝統は、もうこの世から消えてなくなってほしいと願っている。
                     (2006年4月15日付けHürriyet紙全国版より)


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そうなのだ。アナトリアの東部〜南東部一帯では、昔から娘たちは一家の財産のように扱われてきた。
まるで牛や羊の売り買いをするように、結婚にあたっては嫁取金の額を決め、嫁取金の支払いと同時に嫁いでいくことが許される。
そこで、嫁取金を支払うことも出来ないような貧しい若者との結婚は、娘側の両親によってしばしば反対される。
こうして若者は、しばしば娘と駆け落ちするしかない状況にも置かれる。


トルコ東部〜東南部で多い「駆け落ち婚(略奪婚kız kaçırma」という現象は、親の反対を押し切って純愛を貫く行為という側面よりも、女性側家族の反対にあった場合の唯一の手段として慣行化しているということもできる。


トルコ国内で行われた調査*3の結果、上記の「嫁取金婚」「駆け落ち婚(略奪婚)」を含め、トルコにはおよそ30種類(!)もの結婚の形態があることが明らかにされたという。
そのいずれもが、大変に興味深いものである。いつか機会があったら、ご紹介してみたい。


なお、このカラタシュ一家は、東部〜東南部で多い若年婚の一例としても興味深い。
現在、夫ヤースィンは31歳、妻エミネは26歳。12年前結婚したのは、つまり夫19歳、妻14歳の時である。
また、エミネの父親ドゥルスンの年齢はただ今43歳。エミネが生まれたのは、彼が17歳のときである。
ちなみにトルコでは、年齢は数え年でいうことが一般的である。

*1:セイハン河、ジェイハン河というふたつの河口に溜まった泥の堆積によって形成された平野。野菜・果物(特に柑橘類)・穀物・綿花など、大規模に農作が行われている他、繊維・紡績産業を筆頭とした多岐にわたる産業が栄えている。

*2:主に東部、南東部の田舎で広まっている習慣で、現金以外に金、家、田畑、動物によっても支払われる。

*3:アタテュルク大学カズム・カラベキル教育学部トルコ語学科で教鞭をとる助教授、ルトゥフィ・セゼン博士によりトルコの広範囲で行われた聞き取り調査